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輪るピングドラムの二次創作テキストブログ。 冠晶中心に晶馬総受け。
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2011/11/21 (Mon)                  宣告
もし病気になってたのが晶ちゃんだったら?の捏造ぱろ。最初は2000字くらいでさらっと書く予定だったのに、どうしてここまで長くなったんでしょうね?
気力が戻れば続く予定。

つづきから!

「晶ちゃん!元気?体調はどう?」

 カラカラと扉が開いた音がして、晶馬は読みかけていた文庫本を閉じ、部屋の入り口に目をやった。それと同時に、まだ幼さの残る可愛いらしい少女が部屋に駆け込んでくる。途端に、味気ない病室がぱあっと華やかに色づいた。

「陽毬、病院で走るなよ。それにこけると危ない」

 少し遅れて、双子の兄も姿を覗かせる。二人の姿を確認すると、晶馬は自然と顔が綻んでしまうのを自覚した。

「陽毬、兄貴。今日は二人で来てくれたんだ」

 長い入院生活にはもうすっかりと慣れてしまって、毎日あり余るほどの時間を、本を読んだりテレビを見たり、ぼおっと外を眺めながら晶馬は過ごす。そんな日々の中、二人がお見舞いに来てくれる時間が晶馬にとって一番楽しみな時間であり、そして少しだけ、辛い時間だった。
 冠葉と陽毬、二人が並んでいるのを見るのは、本音を言うと少しだけ、嫌だ。

「おい晶馬、飯残してるじゃねぇか」

 軽く手をつけたまま机の上に放置されていた昼食に気づき、冠葉はそれはとても不機嫌な顔で、晶馬を見た。

「うーん、あんまり食欲なくて。あ、そうだ陽毬、残ってるプリン食べていいよ」
「ええっダメだよ、晶ちゃんが食べなきゃ!」

 冠葉の顔を見ていられなくなって、晶馬は陽毬に視線を移した。病室に入ってきてからパタパタと晶馬に駆け寄って来たかと思うと、そのまま隣の位置を陣取ったままの陽毬は、怒ったように腰に手を当てた。

「食欲無いなら、プリンだけでも食べなきゃ!じゃないと元気になれないよ」

 そう言うと陽毬はするすると腕を伸ばして、晶馬の左腕に抱きついた。ねぇ冠ちゃんと、ベッドに座ったまま冠葉を見上げ同意を求める陽毬に、どう返答しようか迷ってしまう。すると、より一層、抱きつく腕に力がこもった。

「ね、晶ちゃん。プリン、食べようよ」

 お願い。と晶馬を見上げる陽毬の表情にほんのわずかな悲痛な色が混じっていることに気づいて、晶馬は少し、困ってしまった。食欲がないことを心配する陽毬を安心させるためにも、プリンだけでも手をつけようかと思う。けれど、さっき食べた昼食を戻してしまったばかりの胃は、やはり食べ物を受け付けてはくれなさそうである。

「ごめん陽毬、やっぱり僕はいいよ」

 困ったような顔で陽毬にやんわりと断りを告げると、陽毬の表情に、より悲痛な色が濃くなった。上手く誤魔化して心配かけないような言い方をすればよかったな、と早速後悔してしまう。晶馬は、嘘をつくことがとても苦手だ。
そっか、と曇った顔で呟いた陽毬は、それでも一瞬で消し去って、ぱあっといつもの笑顔になる。

「ねえ、みんなでお散歩に行こう!」

 ね、冠ちゃんいいでしょ?と言いながら、晶馬の腕を離すと今度は冠葉に駆け寄った。冠葉は相変わらず不機嫌な表情で、壁にもたれかかっている。

「冠ちゃん、怖い顔してるよ?」
「ああ…ごめん陽毬。そうだな、散歩にでも行くか」

 顔を覗き込んだ陽毬に、少しだけハッとしたような表情をして、冠葉は陽毬の頭をポンポンと撫でた。
 その表情がとても優しくて、撫でる手がとても穏やかで、晶馬は少しだけ、胸が痛んだ。

「じゃあちょっと待ってて、服着替えるから」

 二人から目を逸らすように、窓際にある小さな棚へと注意を向ける。三人でいるときの記憶は、できれば綺麗なものであって欲しい。だから晶馬は極力、冠葉と陽毬が二人で話している所を、見ないようにする。

 冠葉も陽毬も、今日はいつもと違って、少し様子がおかしい。陽毬がいつもより晶馬とスキンシップを取りたがっていることも、冠葉の口数が少なく難しい顔をしていることも、晶馬は全部わかっていた。そしてその理由もなんとなく察しがついていたから、二人には何も聞いたりはしない。
 聞いてしまったら、今日の楽しい時間は、それで終わりになってしまう。

「お待たせ。じゃ、行こうか」

 手近な上着を羽織って、ベッドから立ち上がる。久しぶりに立ったせいか少しよろけてしまった晶馬を、冠葉が自然な動きで横から支えてくれた。それだけで晶馬は、嬉しくなる。

 もう少しだけ。
 もう少しだけ、三人で、楽しい時間を過ごしたい。
 冠葉と陽毬と過ごすこの幸せな時間を、噛み締めていたい。




***




 高倉家には、両親がいない。正確には、まだ生きているはずの両親は、失踪して行方不明である。それは三年前の出来事で、朝には普段通り学校に行く冠葉と晶馬、陽毬を見送った両親は、夕方帰ってきた時には姿がなかった。深夜になっても翌日になっても帰ってくる気配はなく、そのまま今に至るまで、一度も連絡があったことはない。
 当時、冠葉と晶馬は中学生、陽毬はまだ小学生だったこともあり、当然のことのように、三人は親戚に預けられるという話になった。しかしそれが、三人がバラバラに預けられるかもしれないという方向に進み始め、話が拗れた。バラバラになる、ということに頑なに嫌だと言ったのが、冠葉と、そして陽毬だ。
 結局、話はまとまらないまま宙に浮いた状態となり、親戚が冠葉と陽毬に折れる形で、決着が着いた。三人はこのまま高倉家に住むことになり、親戚の一人である叔父から、毎月生活費を振り込んでもらえることとなった。こうして三人は、前と同じ家で、前とは違い三人だけの生活を始めたのだ。

 しかし、両親がいない子どもだけの生活は想像していたよりもずっと大変なことなのだと、晶馬はやがて思い知る。家事のことであったりお金のことであったり、生活を営む上で必要なことはもちろん大変だったけれど、それは毎日を過ごすうちに、徐々に慣れていった。それよりも深刻だったのは、たまにどうしようもなく、寂しくなってしまうことだった。
 冠葉と晶馬もまだ中学生であったけれど、それよりもずっと小さな、小学生の妹もいる。そうなると必然的に、幼い妹を守るのは自分達の役目であると、示し合わさずとも二人は決意した。そのうちに晶馬はめざましい程に家事の能力を発揮するようになり、自然と高倉家の母親の役目を負うようになった。そして晶馬ほど上手く家事をこなす能力がなかった冠葉は、その穴を埋めるように父親の役目を負うようになる。こうして擬似的な家族は出来上がり、二人が陽毬を守るという構図によって、再び家族の形を作ることが出来たのだ。

 三人で暮らし始めたばかりの頃は、居間に布団を三つ並べて、そこに並んで眠った。陽毬が真ん中、右端に冠葉、左端に晶馬という位置は、おそらく一度も変わったことがない。晶馬はこうして左端から二人を見ていると、決して口に出すことはない胸の奥の寂しさが、すこしだけ薄れていくような気がした。そうやって、安心して眠りにつく。晶馬と同じくあまり自分のことは口にしない冠葉も、おそらく同じようなことを考えていたのだと思う。両親が居た頃は年相応なわがままも言っていた陽毬は、冠葉と晶馬には駄々をこねることもなく、いつも真ん中で、太陽のようにキラキラと笑っていた。冠葉と晶馬が陽毬を守っているつもりだったのに、実は二人の方が陽毬に支えられていたのだと気づいたのは、ずいぶんと後になってからのことだ。
 一年後陽毬が小学校を卒業すると、以前は両親が使っていた寝室を、陽毬一人の寝室として使うことにした。いつまでも兄達と一緒に眠るのは可哀想だったし、それに、居間で三人並んで眠るには、少し狭く感じるようになっていた。その頃には、もうすっかりと両親がいない生活にも慣れてしまって、晶馬は寂しいと思うことも少なくなっていた。それでもふとした瞬間、例えば何気なく食器棚から取り出した皿を見て、ああこれは母親がお気に入りだった物だな、などと考えてしまった時などには、どうしようもなく、寂しい気持ちに襲われたりもする。けれどそんなことは考えていても仕方がないことだということもわかりきっていたから、そういう感情は、いつもすぐにフタをしてしまうようにした。

 だからあの夜、布団に入り眠りにつこうとしていた時、晶馬は自分の口から出てきた言葉に、誰よりも自分が一番驚いた。きっと慣れていたようで鈍っていただけの心はそろそろ限界で、それになによりも、陽毬がいない、冠葉と二人だけという空間に、甘えたかったのかもしれない。

「ねぇ兄貴。やっぱりもう、父さんも母さんも戻ってくることはないのかな」

 その声はとても小さなものだったけど、しんと静まる暗闇の部屋にやけに響いた。そして、それは両親が居なくなってから初めて口にした、弱音のようなものだった。冠葉は少し驚いたような素振りを見せ、晶馬に背を向けていた体を反転させる。

「どうしたんだよ、突然」

 もしかしたらその時、晶馬は泣きそうな顔をしていたのかもしれない。ただ、晶馬の顔を見た冠葉は酷く動揺したようで、少しだけ躊躇ったあと、もぞもぞと晶馬の布団に潜りこんできた。そして、ぽんぽん、とあやすように抱きしめられる。

「さあな、もしかしたら戻って来ないかもな。でも安心しろ、俺が必ずこの家は守るから」

 だから泣くなよ。そう言って頬に手を当てた冠葉を見て、晶馬は初めて自分が泣いていることに気づいた。冠葉の手は温かくて、背中をあやす腕はとても穏やかで、酷く安心したことを覚えている。そしてこの感情は、陽毬を見ながら安心して眠っていた時のものとは、どこか違う感情だということにも気がついた。けれどその時の晶馬には、その感情が何というものなのか、まだ知らないものだった。

 この日から冠葉と晶馬は、ごくたまに、二人で抱きしめあいながら眠るようになった。そうすると、それまで膨れあがった寂しさが嘘のように消えてゆき、次の日からまた普段通りの生活が送れるようになるのだ。両親がいない寂しさは全て消え去った訳ではないけれど、こうやって三人で、陽毬を囲んで生きていくのも悪くはないかもしれない、と思えた。陽毬を思いっきり可愛がって、そして時々、自分も冠葉に甘えさせてもらって。だから、冠葉と陽毬と、三人で暮らして行ければ幸せなのだと、思っていたのだ。

 それは確か、高校に入学してすぐの、いつも通りの夕飯の時間のことだった。重い鍋を台所から居間へ運ぼうとした陽毬に、俺がやるから、と言って冠葉が代わりに鍋を運んだ。細い腕で懸命に家事を手伝っていた陽毬を守るように、当たり前のような優しい素振りだった。それは普段からよく見る、別段変わったことでは無かったけれど、その時晶馬はふと気づいたのだ。
 冠葉の陽毬を見る目が、なんとなく、昔のものとは違っているように感じた。ただ可愛がっている、守らなければならない妹を見ているものとは、明らかに異なるものだった。冠葉は一人の女の子として陽毬が好きなのかもしれない、と晶馬が初めて気がついた瞬間だった。
 生まれ持ってのものなのか、それとも経験がそうさせるのか、人を好きだとか愛するだとかの感情が人一倍鈍い晶馬にしては、よくそのことに気づくことが出来たものだと思う。それも今思えば何の事はない、晶馬も冠葉をずっと見ていたからなのだけれど。どうしてかキリリと痛む胸に困惑しながら、晶馬は、冠葉が陽毬を好きだとしても、それでもいいかな、と思った。その時はまだ、晶馬は自分の冠葉に対する気持ちに気づいていなかったし、あまり深く考えたくなかったのだ。
 ――いや、違う。とっくに知っていたはずの感情に、ここまで来てもまだ、気づかないふりをしようとしていた。

 冠葉は高校に入ってから、たくさんの女の子達と付き合いだすようになった。元々整った顔つきをしている冠葉は、黙っていても女の子の方から声がかかる。そして誰を選ぶ訳でもなく簡単に付き合ったかと思うと、容赦なく切り捨てる。その家族に対する態度とのあまりの違いに、晶馬は一種の恐怖すら感じたこともある。それでも、陽毬に対する気持ちを押し殺していることを知っている晶馬は、冠葉に何も言うことは出来なかった。ただあまりに帰宅が遅くなったときや、あまりに酷い態度を取っている所を見てしまったときだけ、遠慮がちに咎めるだけだった。

 こうして高倉家に今までとは少し違った空気が流れ始めたころ、晶馬にとって、もう後戻りが出来なくなってしまったことが起きた。最近荒れがちな兄を心配する気持ちもあり、久々に冠葉と同じ布団で眠ろうと、ごそごそと布団に潜ったときの事だった。突然、冠葉に、キスされた。押し倒されるように枕に後頭部を押し付けられ、そのまま上から口内を貪ろうとしてくる冠葉を、真っ白になった頭でなんとか押し退けようとする。けれど冠葉のとても苦しそうな、悲痛な表情を見て、晶馬は拒絶することが出来なくなった。それはきっと、これまで一度も自分の寂しさや苦しさなどの感情を言うことがなかった冠葉が初めて見せた、晶馬に助けを求めるものだった。そして、抵抗をやめて冠葉の背中に手を回しながら、晶馬は絶望した思いで悟ったのだ。自分はもうずっと前から、冠葉のことが好きなのだということ。その思いは決して叶うことはないこと。そして抱かれている自分は、陽毬の代わりでしかないということ。

 気づいてしまった感情は、もう知らなかった頃には戻れない。自分でもどうにも出来ないこの感情に頑張ってフタをしようとしても、いとも簡単に溢れ出てしまう。それでも続いていく三人での生活を壊してしまう訳にはいかず、晶馬はただひたすら、自分の気持ちを押し殺すことに専念した。大好きな陽毬と過ごす時間はとても楽しいのに、陽毬のキラキラとした笑顔を見るとホッとするのも本当なのに。その反面で、どんなに辛いときでもずっと笑顔を絶やさないこの女の子に、自分は到底敵うわけがないのだという思いがよぎってしまう。以前のように、何事も無かったように三人での幸せな生活を送りたいのに。これまでのように、ただ二人を見守るだけでいようと思うのに。そうしようとすればするほど、苦しくて、仕方がない。そしてとうとう晶馬は、家に居ることが辛いと、思ってしまったのだ。

 晶馬が倒れたのは、その一ヶ月後のことだった。いつものように冠葉と学校へ行き、いつものように授業を受けていたら、急に意識が遠のいた。学校から緊急搬送された晶馬はそのまま入院することとなり、以来一度も家には帰っていない。あまりに突然な出来事に、冠葉も陽毬も酷く動揺して、陽毬の顔からは笑顔が消えて代わりに泣き顔が浮かんでいた。けれど晶馬は、これは当然のことなのだろうな、とどこか冷めたような頭で考えていた。これはきっと、罰なのだ。兄を好きになってしまったことへの。陽毬に嫉妬してしまったことへの。家に居ることが辛いと思ってしまった、自分への。
 自分は、三人での幸せを壊しかけた人間だ。罰を受けるのは、自分が一番、ふさわしい。

 なんの前触れもなく晶馬の体に現れた病魔は、しっかりと手を休めることなく体を蝕んでいき、入院してからよくなる気配は全くない。きっともう、あまり長くは生きられないのかもしれない。そう思うと辛くて悲しくてたまらなくなるけれど、それでもやっぱり、仕方がないのだとどこか諦めている。

 晶馬が消えてしまったら、冠葉と陽毬に、しばらく悲しい思いをさせてしまうかもしれない。でも少し時間が過ぎれば、きっと二人で生きていけるようになる。

 だから、これでいいんだ。
 全然、何の問題も、ない。




***




 陽毬は晶馬のお見舞いに来ると、晴れている日は出来るだけ外の散歩に誘うようにしていた。薄暗い病室から自由に出られない晶馬に、少しでも太陽の光を浴びて外の空気を吸ってもらいたいからだった。一人でお見舞いに来た日でも冠葉と一緒に来た日でも、それは変わらない。それに、木々や花々が植えられた道を歩くことが、陽毬は単純に好きだったのである。
 もう何回も歩いた見慣れた道を、三人で並んでのんびりと歩く。長い入院生活のせいで足の筋肉が落ちてしまった晶馬のペースに合わせて、二人は普段よりも少しだけゆっくりと歩いた。昔から何も変わらず、晶馬が入院している今でさえも、陽毬の立ち位置はずっと二人の真ん中だ。陽毬は、気を抜くと張り裂けてしまいそうな心を抑えたくて、そして二人と少しでも繋がっていたくなって、右手で冠葉の手を、左手で晶馬の手を繋いだ。暖かい冠葉の手と少し冷たい晶馬の手を、陽毬は出来ることならこのまま一生離したくないのに、と思う。
 夏の真っ只中である今日は特に蒸し暑く、少し歩いただけで汗ばんでくる。木陰を歩いていても日射しは強く、冠葉もとても暑そうだった。もしかしたらこんなに暑い日に外に出ることは、晶馬の体力を奪ってしまうだけなのではないか。そう考えてしまって、陽毬は二人を散歩に誘ったことを後悔し始めていた。晶馬に元気になってほしくて、そのためにはどうすることが正しいことなのか陽毬はいつも真剣に考えているのに、正解がよくわからない。

「晶ちゃん、大丈夫?少し休憩する?」

 こんなに暑くてたまらないのに、薄手の長袖を羽織って汗一つかいていない晶馬を見て、陽毬は心が苦しくなった。家にいたときと比べると、随分と痩せてしまったような気がする。

「ありがとう陽毬、大丈夫だよ」
「まぁでもちょうどベンチもあるし、ここで少し休憩するか」

 冠葉は陽毬の意図を読み取ってくれたらしく、上手く三人を休憩に誘導した。冠葉はいつでも、本当によく、陽毬と晶馬のことを見ていてくれる。冠葉の声はいつもと全く変わらないのに、今日の陽毬には、なぜかとても悲しそうな声に聞こえた。ベンチに座るために、二人と繋いでいた手が、離されてしまう。陽毬は下手をすればうっかりと表情が曇ってしまいそうで、そんな自分を叱咤するために、自分の手をきつく握りしめた。

「あのね、晶ちゃん。私も卵焼き作るの、だいぶ上手になったんだよ」

 静かになってしまうとボロを出してしまいそうで、陽毬はとっさに思いついたことを口にした。

「へぇ、すごいじゃないか陽毬」
「あぁ、それに料理のレパートリーも増えたしな」

 冠葉はまるで自分のことのように、陽毬のことを得意気に話す。自分の左側に座る晶馬が少し俯いていることに気づいて、陽毬はおもわず、晶馬の服の裾を握りしめた。

「それでもやっぱり、晶ちゃんの料理には全然敵わないよ」

 だから戻ってきて欲しい、居なくならないで欲しい。続けたかった言葉は大声で叫びたいことだったけれど、頑張って飲み込んだ。服を握る手に自然と力がこもる。手を離したら最後、途端に晶馬が居なくなってしまう気がした。

 陽毬はもう大分前、おそらく両親が高倉家から居なくなってしまった頃から、晶馬がどこか冠葉と陽毬の元から去っていってしまいそうな気がしてならなかった。それは、両親が居なくなり三人で残されて、その後親戚にバラバラに引き取られてしまいそうだったときのことだ。大好きな両親が居なくなってしまったことだけでも耐えがたいことだったのに、陽毬はこれ以上家族がバラバラになってしまうのは絶対に嫌だった。だからどうしても三人一緒がいいのだと、断固として譲らなかった。冠葉もそれは同じだったらしく、陽毬と同じように親戚に強く反対してくれた。けれど、晶馬は違った。寂しそうではあったけれど、どこか仕方のないことだと割り切っているように見えた。そして、いよいよ話がまとまらず拗れだしたときに、もし二人だったら預かれるなら、冠葉と陽毬だけでも一緒に預かってもらえないだろうか、と言ったのだ。その言葉を聞いたときの冠葉と陽毬の絶望感を、きっと今でも、晶馬は知らない。ただ、このままだと本当に晶馬は一人でどこかへ行ってしまいそうだったから、陽毬はそれはもう縋りつく思いで、それだけは絶対に嫌だと譲らなかった。陽毬一人の力では晶馬を引き止めることが出来ないような気がして、必死に冠葉に助けを求めた。「晶馬、お前はもう黙ってろ」と叫んだ冠葉の声を、陽毬はどんなに、力強く感じたことか。

 そうだ、あの日だって、陽毬は晶馬の服を、きつくきつく握りしめていた。陽毬はただ、三人で居られればそれだけで幸せなのに。他のものなんて、何もいらないのに。陽毬は、自分の世界がとても小さなもので完結してしまっていることを、自分でもよくわかっている。それでも、また家族の誰かが居なくなるなんてことに、耐えられる自信なんて陽毬にはこれっぽっちもないのだ。

「晶ちゃんが帰ってきたら、また三人で水族館に行こう?」

 だから陽毬は、いつだって必死に繋ぎとめる。それがどんなに醜い姿になろうとも、構わないと思う。陽毬がいつも笑っていられるのは、二人がいつだって、両隣に居てくれるからだというのに。
 ――それなのに、どうして晶馬は、困った顔で笑うだけで、陽毬に返事をしてくれないのだろう。

 晶馬の服を握る手が、小さく、震えた。今日はいつもより気を張っていないと、すぐにでも泣いてしまいそうだ。辛くて、苦しくて、悲しくて、心がぐちゃぐちゃに潰れてしまいそうだった。




 
***




「ねえ冠ちゃん。晶ちゃん、もうプリンも食べられないのかな」
「晶ちゃん、またすこし痩せちゃったね」
「晶ちゃん、プリン大好きなのにね」

 ぽつん、ぽつんと呟く陽毬の声が、ざわめく町の雑踏の中だというのに、冠葉の耳にやけに響く。病院からの帰り道。時間はすでに六時を回っているというのに、じりじりと焼けつくような太陽は手を緩めることはなく、容赦なく照りつけていた。陽毬の顔から笑顔が消えてしまっているのは、きっと左側が空席になっているからだろう。冠葉は返事をする代わりに、そっと陽毬の手を握った。すると、陽毬にしては強い力で、ぎゅっと握り返してくる。大した力では無かったけれど、小さく震えながら握りしめてくる陽毬の力に、少しだけ痛みを感じた。それはきっと、今陽毬が感じている痛みなのかもしれない、と思う。俯いている陽毬の顔に、降り注ぐ太陽が影をつくる。唇を固く結んで何かに必死で耐えているような顔を見るのは、冠葉はこれで二回目だった。両親が突然居なくなった日の、陽毬と晶馬の表情に、そっくりだと思った。あるいは、あの日自分も同じような顔をしていたのかもしれない。もしくは、今、この瞬間も。

「ねえ冠ちゃん」

 陽毬が何かに耐えられなくなったように、突然大きな声を出した。聞き慣れた陽毬の声が、冠葉の耳に突き刺さる。繋いだままの手に、自然と力がこもった。

「晶ちゃん、ほんとうに、」
「ほんとうに、」
「死んじゃう、のかなあ…っ?」

 立ち止まった陽毬が、冠葉を見上げて、もう世界が終わってしまうのではないかというように、小さく叫んだ。いつの間にか陽毬の目からはポロポロと涙がこぼれていて、頬を濡らす。どうして陽毬に、またこんなに悲痛な表情を浮かべさせてしまったのだろう。どうしてまた、自分達の元から家族を奪い取って行こうとするのだろう。冠葉は無意識のうちに、きつく、ぎりりと唇を噛み締めた。


 弟さんは、もう長くはないでしょう。
 もって、あと数ヶ月です。

 内容のわりにはやけに無機質に響く医者の言葉は、冠葉と陽毬に対して、再び訪れる絶望の日を告げるものであった。そして同時に、高倉家の終わりを、宣告するもの。家族というものが自分の全てである冠葉と陽毬に、それは死刑宣告のように、残酷に突きつけられた。どうしていつも、晶馬は何の断りもなく、自分達の前から消えて行こうとするのだ。



 思い返せば、三人の引き取り先を親戚と話し合っていた日も、晶馬は自分だけ居なくなろうとしていた。そしてそんな晶馬を、冠葉と陽毬は有無を言わさず抑えつけたのだ。黙ってろ、と叫んだ声は陽毬に呼応する形で言ったものだったけれど、そうやって直接手を下したのは自分だった。晶馬は酷く驚いた顔をしていたけれど、晶馬にしがみついたまま必死な顔をしている陽毬を見て、もう何も言うことはなかった。その日から冠葉と陽毬は、晶馬に対してどこか漠然とした不安を抱えたまま、三人での生活を送ることになった。そしてあの瞬間から、冠葉と陽毬は、一種の共犯者のような存在になったのだ。家族しかいらないという冠葉を、陽毬は一番理解してくれる存在でもあった。

 こうして三人で暮らし始めてしばらくが過ぎたころ、晶馬が唐突に、冠葉に助けを求めてきた。陽毬と別々に寝るようになってから、少したったころのことだった。両親はもう戻ってはこないのだろうか、と呟いた晶馬の言葉は、弱音というようなものではなかったかもしれない。けれど、これまで両親のことを口にしたことがなかった自分達には、とても大きな意味を持つ言葉だった。晶馬の目からはポロポロと涙がこぼれていて、そして泣いていることにも気づいていないようだった。そんな弟の姿に冠葉は動揺して、また、心のどこかで酷く安心している自分もいた。ひとりでふらりとどこかへ行ってしまいそうだった晶馬が、自分を頼ってくるなら、もう大丈夫なのではないかと、思ったのだ。あの日晶馬を抱きしめたのは、もちろん弟を慰める意味もあったけれど、本当は、もうどこにも行くなという思いがあったからだった。だから、きつく、抱きしめた。
 そうやって、たまに晶馬を抱きしめながら眠るうちに、いつの間にか晶馬に対する不安はだんだんと薄れていった。今思うと、それはただの気のせいであって、油断するなと自分に怒鳴りつけたくなる。けれども、その頃には三人での生活にも大分慣れてきて、うまく行っているように、見えたのだ。このままこうやって、三人での生活が続いていくのだと思っていた。不穏な空気が立ち始めたのは、冠葉が、自分の中での陽毬の存在の大きさに気付いたころからだった。

 陽毬は、あの親戚との話し合いの日から、ずっと共犯者のような存在だった。そして家族さえいればいいと思っている冠葉にとっての、一番の理解者でもあった。きっと、どうしようもなく、冠葉と陽毬は、似ているのだ。そのせいか、何よりも家族を最優先する自分を、いつも見ていてくれて、助けてくれた。冠葉は、三人が揃っていればそれが全てであり、他のものは何もいらないとすら思っているふしがある。たとえそれがどんなに小さな世界で完結してしまっていようが、それだけが、冠葉が唯一信じられる世界なのだ。そしてそれは、陽毬も同じだった。おそらく、あまり一般的ではないこの冠葉の感覚を、無条件に信じてくれる陽毬が、冠葉にはとても救いだったのかもしれない。こうして気づいたときには、冠葉の中で、陽毬の存在が手におえないほどに大きくなっていた。自分は、陽毬が、好きなのだ。

 それでも、家族を失うということが何よりもの恐怖である冠葉は、この気持ちを精一杯押し殺した。自分のせいでこの暮らしが終わるということは、それは生きていけなくなるようなことでもあったのだ。だから、この矛先は、他人の女に向かった。家族とは全く無関係の他人の女を抱けば、この気持ちは薄れていくかもしれない、と思った。けれど、それは甘かった。他の女といればいるほど、ただ、苦しくなっていって、陽毬の存在は大きくなるばかりだった。
 そうしてしばらくたって、冠葉の苦しさはもう溢れそうになっていて、その時に冠葉が助けを求めたのが、晶馬だった。あの日の冠葉は、自分でもどうかしていたのではないかとしか思えない。絶対にやってはいけないことを、やってしまった。けれど、もう苦しい気持ちは冠葉を圧迫して仕方がなかったから、どうしようもなかったのかもしれない。「兄貴、最近どうしたんだよ」と自分の布団にもぐりこんできた晶馬を見たとき、自分の中で、何かが壊れた。そして気づいたときには、晶馬に、キスをしていたのだ。晶馬は初め、酷く驚いたような顔で、冠葉を押しのけようとしてきた。けれど冠葉の表情に気づいて、一瞬動きが止まったあと、震える手で冠葉にしがみついてきた。その時の晶馬が、憐れんでいるような、同情しているような、絶望しているような目をしていて、そんな晶馬を見ていたくなくて、冠葉はそのまま晶馬を抱いた。晶馬が何を考えているのか知りたくなくて、目を塞いでしまいたくなった。こういうことしかできない自分が、酷く情けない存在のように思えた。その一方で、何も言わずに黙って自分を受け入れてくれた晶馬に、心の底からほっとしたのも事実だった。そうして冠葉は、晶馬に対する、依存にも近いような感情に、初めて気づいたのだ。それはきっと、親戚との話し合いの日に、晶馬の自由を奪って抑えつけたあの日から、ずっと続いていたもの。きっと晶馬を抱きしめながら寝ていたときだって、それを一番求めていたのは、晶馬ではなく自分だったのだ。そうして冠葉は、もう誰かひとりでもこの家から欠けてしまったら、うまく生きてはいけないのだと、悟った。

 それなのに、誰にも気づかれないところで、事態は着々と進行していた。気配を感じる暇もなかった晶馬の病気は、あっという間にすべてを食らいつくして、晶馬をこの家から奪っていった。抱いてしまったあの日から、晶馬の様子がどこかおかしいことは、冠葉も気づいていた。忘れかけていた、あの漠然とした不安が頭に浮かんでくるようになっていた、その矢先のことだった。とうとう、本当に、晶馬が居なくなってしまった。
 だからこれは、罰なのだと思った。妹を愛してしまったことへの。それなのに、弟すらも手放すことが出来ないことへの。どこか家族を、縛りつけてしまっている自分への。
 そうして今日、宣告が下ったのだ。


 数時間前、病院で見た晶馬は、いつものようにすべてを諦めきったような顔で、いつものようにそこにいた。入院したときも、数日前に個室に移ったときも、いつだってこの先を何も望んでなんかいなかった。そんな晶馬の態度にも、医者のどこか投げやりな態度にも、冠葉はいつも、苛立ってしまってしょうがない。




「冠ちゃん、いやだよ、どうして、」
 陽毬がまた、小さく叫ぶ。立ち止まったまま冠葉を見上げ震える陽毬は、もうどうしようもないくらいに、絶望した目をしていた。
「どうして晶ちゃんなの?どうしてみんないなくなるの?」
 どうしてだろう。どうして大事なものほど、目の前から消えていくのだろう。
「晶ちゃんがいなくなるなんて嫌だよ、そんなの耐えられない」
 いつだって本当に繋ぎ止めたいものほど、自分は守ることができないのだ。
「晶ちゃんがいなくなったら、」
 晶馬がいなくなったら、
「私、生きていけない!」
 ――生きて、いけない。

 気づいたら、冠葉は陽毬と繋いでいないほうの手を、きつくきつく握りしめていた。爪が食い込んで、血が滲む。相変わらず太陽はさんさんと降り注いで、とても明るくて眩しくて、世界の何もかもが憎たらしい。

「―――――、絶対に、死なせない」
 冠葉のからからに乾いた口は、ようやくたった一言、言葉を紡いだ。陽毬の顔は涙でぼろぼろに濡れてしまっていて、冠葉はそれももう、見たくなかった。陽毬とよく似た晶馬の、いつか見た泣き顔が、頭にちらつく。陽毬も、晶馬も、どちらも大切な自分の兄妹だというのに。

「何としてでも、死なせない。だから安心しろ」
 冠葉の手を握る陽毬の力が、少しだけ、強くなる。

「どんな手を使ってでも、生き延びさせてみせる」

 そうやって、冠葉は決意した。これが、この先に待ち受けている、地獄の始まりの合図だった。ぎりりと噛みしめた唇は血の味がして、鉄の味が口の中に広がって、このまま冠葉を侵食してしまいそうだった。

「絶対に、死なせない」
 もう一度、小さく呟いた。

 

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