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つづきよりどぞ!
「ただいまー…」
陽もすっかり暮れてしまって外は真っ暗だというのに、家の中は明かりがついておらず、冠葉は訝しんだ。玄関の鍵は開いていたから、双子の弟は家に居るはずなのだけれど。晶馬が家の鍵を掛け忘れてどこかに出かけているとは、いつも何度か確認して出かける弟の性格からして考えられなかった。
「晶馬?いないのか?」
不審に思いながらも家の中に入ると、ちゃぶ台の上に突っ伏して眠っている晶馬の姿が目に入った。ちゃぶ台の上には、ノートと英文が長々と書いてあるプリント、そして開いたままの英和辞書。
ああ、そういえば。
話半分で聞いていた英語の授業で、明日までにやってこいとか言ってた宿題があったような。
嫌なものを思い出してしまった冠葉は、無意識のうちに大きなため息を吐いた。
人の気配を感じたのか、晶馬は少しだけ身じろぐ。だけど、目を覚ます気配はない。いきなり電気を付けてしまうのも可哀想だと思い、冠葉は晶馬の肩をぽんぽんと叩いた。
「晶馬、起きろって。風邪ひく」
まだ九月で、いくら残暑厳しく暑い日が続いていようが、夜になるとそれなりに冷える。晶馬はよく、何かの作業をしている間に、うたた寝をする。そうして風邪を引いて困るのは、誰でもなく晶馬なのだ。
「ん…?あ、兄貴」
ふあぁ、と欠伸をひとつ。そして間髪入れずに、小さくくしゃみをした。
「ほら、言わんこっちゃない」
嫌な顔をして、晶馬の頭を軽く小突く。晶馬は小さく震えると、うわ、寒っなどと言いながら頭を振った。
「うわーもう夜じゃん。ごめん兄貴、すぐ夕飯作るから」
ご飯とお味噌汁は用意しといたからたぶんすぐできるよ、とか言いながら、電気を付けて台所に引っ込んだ晶馬に、あー、と適当に返事をする。晶馬がそれまで手を付けていた宿題に目をやると、英文を訳していたらしい手書きの文章の中に、所々ミミズが這ったような鉛筆の線があった。よほど眠くなったらしい。眠気を堪えながら宿題をやる弟の姿を想像して、冠葉は自然と笑みが零れた。
「晶馬、これもう終わったのか?」
「まだ。でも、もうちょっとで終わると思うよ」
カチャカチャと卵を溶きながら、晶馬が答える。きっと、冷蔵庫に余っていた野菜や肉なんかを卵でとじて、簡単におかずを作るつもりなのだろう。今夜のおかずの予想をしながら、へえ、などと簡単に返事を返す。
しかし、今日のおかずが何であるかは、今の冠葉にはあまり問題ではない。この時間から宿題に取り掛からなければならない、と思うとげんなりしてしまった冠葉は、一つ、いい事を思い付いた。
さて、どうやって切り出そうか。
思考を巡らせて、よし、と息を吸ったところで、
「言っておくけど。絶対見せないからね」
どうやら冠葉の考えは筒抜けだったらしい。台所からジロッと睨まれながら、先回りされてしまった。
「まだ何も言ってねぇだろ」
「そうだけど。でも、何て言われても見せないから」
キッパリと言い切ると、炒めた具材に卵を流し込む。バターで炒められた具材の香りと、ゆっくりと焼かれる卵の香りが、高倉家いっぱいに広がった。
「いいじゃないか。今度は俺がやったの見せてやるから」
「いい、自分でやるから」
空腹に耐えながら、予想通りの晶馬の返答を聞いて、軽くため息を吐いた。晶馬はいつも正しい。正しいけれど、たまに、頭が固すぎるような気もする。
「お前な。絶対人生損するぞ」
「そんなの兄貴に言われる筋合いはないね」
つん、とした雰囲気を出しながら、もう完成したらしいおかずをお皿に盛り付ける。相変わらずの手際の良さに、冠葉はいつも感心してしまう。
「わかった。じゃあ、しばらく洗濯は俺がやるから」
それでどうだ、と晶馬の様子を伺った。これは、もはや諦め混じりの半ば投げやりな言葉だったけれど、意外にも晶馬には効果があったらしい。
「……ほんとに?」
嫌、でも兄貴が言うことなんて信用出来ないし。ぶつぶつと文句を言いながら、晶馬は味噌汁をお椀によそう。これは、もう一押しかもしれない。
「本当だ!毎日ちゃんとやるから」
「うーん…」
返事を渋る晶馬の眉根が寄せられた横顔を見ながら、冠葉はもう一度、頼む、と声をかけた。冠葉は、英語があまり好きではない。完成に近いものがここにあるというのに、一から自分でやらなければならないという事態は、出来れば避けたかった。
「やっぱり、だめ。それだけじゃ嫌だね」
「それだけ?」
ホカホカのご飯をよそいながら、晶馬が振り向いて、冠葉を見た。
「明日から一ヶ月、兄貴がゴミ出ししてくれるんなら見せてもいいよ」
あ、もちろん洗濯もだからね。と、晶馬は忘れずに付け足す。
「わかった。俺がやる、約束する」
お安い御用である。晶馬の口調から、もっと難しい条件を突きつけられるかと思ったが、意外にもすんなりとクリア出来そうだった。
「ほんと?!じゃあ明日から、頼んだからね!」
完成した食事を運んでくる晶馬は、とても満足そうに、満面の笑みでニコニコしていた。ああ、やっぱり家事を晶馬にばかり押し付けるのもよくないかな、と、そんな晶馬を見ながら冠葉は少しだけ反省した。やっぱり、晶馬でも負担は感じるものなのだろうか。
「あと、写したってバレないように写してよね」
そう言うと、食事を運び終わった晶馬が、再び小さくくしゃみをした。いつもより少し質素な夕飯は、そんなことは気にならないくらい、いつも通りとても美味しかった。