輪るピングドラムの二次創作テキストブログ。
冠晶中心に晶馬総受け。
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中学生双子の鬱々話。そして晶ちゃんが病んでます。元ネタは某少女マンガから。
ブログに載せる前に書き直そうと思ってたんですが、ちょっともう、気力が戻りませんでしたよ。うぅぅ。
ブログに載せる前に書き直そうと思ってたんですが、ちょっともう、気力が戻りませんでしたよ。うぅぅ。
ある日、高倉家の両親に、突然容疑者という呼び名がついた。テレビで大々的に報道され、それまでの日常はあっけなく崩れさり、信じていたものは全て虚像であったことを子ども達は知る。そして、訳もわからないまま待ち受けていたものは、地獄のような日々だった。鳴り止まない電話、消しても消しても上書きされる家の落書き、おとなからもこどもからも、関係なく浴びせられる悪意あることば。それらを全て背負ったのは、既に姿を消していた両親ではなく、その子ども達だった。冠葉も晶馬も陽毬も、まだ中学生と小学生だったけれど、人に憎まれるということがどういうことなのかを、嫌というほど思い知ることとなる。土下座を強要してくるおとな、ところ構わず物を投げつけてくるこども、上辺だけは心配そうな素振りをするくせに、本音では関わりたくないと思っている親戚や学校の先生。それでも不思議なもので、そんな経験を何度も繰り返すうちに、もう心は辛いとも悲しいとも痛いとも、何も感じなくなってくる。
そのうち、隠そうともせず憎しみを自分達に曝け出す人たちを、冠葉は何か違う世界のものを見るような、冷めたような目で見るようになっていた。この中に、本当に自分達を憎んでいる人は、一体何人いるのだろう。ただ世間の波に飲まれただけの、自分の感情ではない、流されているだけの憎しみが大半なのではないか。そのことに早々に気づいた冠葉は、いつのまにか、いろいろと感じとることを放棄していた。振り回されることは馬鹿らしいし、無駄だと思った。ただそういった類の、面白半分の悪意というものが、どれだけ残酷なものであるのかも、冠葉はよくわかっていた。それは容赦なく、何の感情も持ち合わせていないかのように、無情に突きつけられるものだ。
けれどもどんな状況に追い込まれていようが、日々は当たり前のように移り変わるし、生きて行かなければならない。陽毬は事件の後から、しばらく親戚の叔父の家に預かってもらっていた。家に居ることすら、危険だと感じる状況だったからだ。冠葉も晶馬も、ほとぼりが冷めるまでは預かってもらうことになっていた。けれど、それを冠葉は、丁重に断った。なぜだか、自分だけでも家に居なければならない、と思ったからだった。両親が居ない今、家を守るのは自分しかいないではないか。こんな状況になっても、冠葉はまだ、両親は世間が言うような酷い人間ではないのだと信じていた。だから両親が戻ってくるまで、この家を守って、待っていなければならない。そして家に残ると言い張った冠葉に、戸惑いながらも着いてきたのが、晶馬だった。冠葉だけだと心配だから、というのが晶馬の言い分だった。
けれど冠葉も晶馬も、もう体力的にも精神的にも、すっかり疲れきっていた。何も感じないようにしていたって、外を出歩くときの恐怖が消える訳ではない。鳴り止まない電話に辟易して、電話線を引っこ抜いてしまったのはわりと最初の方だった。それに、生活もギリギリだった。慣れない家の仕事に追われることも、どうやって金の工面をすればいいのかも、全てが手探りの中、冠葉も晶馬ももう精一杯だったのだ。きっと二人だったから何とかこなせたこの状況だったけれど、その時の冠葉には、晶馬のことを気づかう余裕なんて全くなかった。それはおそらく、晶馬にしても同じことだった。けれど、冠葉は後になって、晶馬のことをどうしてもう少しだけでも気にかけなかったのかと、酷く後悔することになる。
どうして晶馬を、夜に一人で歩かせてしまったのだ。
それはとても、寒い日だった。その日は、冠葉は一人で学校から家に帰った。どうして一緒に帰らなかったのかと聞かれたら、そこまで考えが及ばなかったからとしか言いようがない。あるいは、考えることを放棄してしまっていたことへの、ツケが回ってきたのかもしれない。とにかくその日は一人で家に帰ってしまって、それなのに晶馬は、いつまでたっても帰ってこなかった。いつもなら帰ってきている時間を過ぎても、陽が沈んでしまっても、戻ってくる気配はない。携帯電話は持っていなかったから、連絡を取ることも出来なかった。時間だけが過ぎてゆき、時計の針はもう十時を指していて、さすがに探しに行こうかと腰をあげたところで、玄関が開く音がした。
「晶馬!お前こんな時間までどこ行って」
玄関に駆け寄りそこまで言いかけたところで、冠葉は声を失った。晶馬は、ボロボロになって、玄関に立ち尽くしていた。髪はぼさぼさで、こんなに寒いというのに上着も着ていなくて、服は泥だらけだった。
「…何があった?」
意図せずとも、声が低くなるのを自覚する。晶馬はただぼおっと突っ立っているばかりで、肩を掴んでも何の反応もない。顔に小さな傷が見えて、冠葉も自分が混乱していることに気づく。状況が、上手く把握出来ない。
「おい、何とか言えよ!」
凍りついたような表情でただ一点を見つめている晶馬に、冠葉は、自分の体が極限にまで冷えていくような錯覚を覚えた。こんな晶馬の顔も、世界を何も映していないような目も、冠葉はこれまで、見たことがない。
「何でもない。離して」
ポツリと呟いた、何の感情も映していないような晶馬の表情に、嫌な予感が全身を駆け巡った。混乱する頭は、いまだに何が起こっているのか、上手く理解してくれない。ただ、何か重大なことが起こっていることは、確かだった。頭の中が真っ暗で、思考が上手くまとまらない。それはまるで、大事なものが、ぽろぽろと崩れ落ちていくような感覚。
その日以降、晶馬の顔から、一切の表情が、消え失せた。
*****
結局その後、冠葉がいくら問いただしても、晶馬は「何でもない」と言うばかりで、何も答えてはくれなかった。それでもしつこく問おうとすると、もう返事をすることも無くなって、一人で風呂場の方へと消えてしまった。
嫌な予感は消えなかった。晶馬の顔は、笑顔どころか悲しいなどの感情も映さない、まるで人形のように無表情だったのだ。感情の表し方を、すっかりと忘れてしまったような顔だった。
翌日になって、晶馬は熱を出した。それは数日の間下がる気配はなく、この時ばかりは冠葉も学校を休んだ。家に一人で置いておくことなど出来なかった。ただ、何が起こっているのかがわからないもどかしさは、冠葉を酷く苛立たせた。けれど、こんな状況になっていたって、家への嫌がらせは収まる訳ではない。だからその対応は、全て冠葉が行うことになった。
数日経って、ようやく熱が下がっても、晶馬の表情は戻ることはなかった。相変わらず、顔の筋肉の動かし方をすっかりと忘れてしまっているような状態だった。それなのに、表情が凍りついていること以外は、なぜか晶馬は至って普通で、以前のような生活に戻った。まだ慣れない家事を、それでもきちんとこなすし、家は綺麗に掃除されていた。喋りかければ、普段通りの返答が返ってくる。
「冠葉、今日の夕飯どうしようか?」
「別になんでもいい」
「えー、それが一番困るんだけど」
会話はいつもと変わらないのに、晶馬の声音も何も変わらないのに、そこに晶馬の表情だけが抜け落ちている。晶馬は自分の身に起きていることを、何も気づいてはいないようだった。何でもいいんなら何か言ってよ、と無表情で喋る晶馬に、冠葉は、自分の心が芯から冷えていくような感覚に陥る。
どうすればいいのかわからない。どう接すればいいのかもわからない。他に頼れる人なんて、誰もいない。自分で何とかしなければならない。けれども晶馬は、何も言わない。
何度聞いても頑なに答えようとしない晶馬に、もう冠葉は、聞き出そうとすることを諦めていた。
「……何でもいいから、ちょっとは笑えよ」
「何が?何のこと?」
晶馬の顔を見るたびに、冠葉の心は、凍りついて砕けていく。
晶馬を学校に行かせることは出来なかった。こんな状態で行ってもどうなるのかわからなかったし、それに外にも出したくなかった。熱は下がったのにどうして休まなければならないのか、と不思議がる晶馬に、またぶり返してはいけないからと無理やり納得させた。
もう一週間もこんな状態だというのに、晶馬がよくなる気配は一向にない。それどころか、以前よりもぼおっとすることが多くなって、死んだように眠る時間が多くなった。台所に立っても包丁で指を切るし、昼間でも唐突に眠ってしまうことがある。以前通りの生活が、ままならなくなってきていた。そうなると、冠葉がやらなければならないことも、必然的に増えていく。晶馬だけではない、冠葉ももう、どこか極限状態にまで追いやられていた。世界中の災厄や災難が、一斉に自分の身に降りかかってきたような感覚だった。それを一人で、ひたすら耐えなければならないような。
そうして、二人で学校を休み始めてしばらくがたった頃、さすがにこれ以上休み続けるわけには行かないと思い、冠葉だけでも学校に戻ることにした。それを晶馬に伝えると、もう何も疑問には思わなかったらしく、わかった、と短い返事だけが返ってきた。
「いってらっしゃい。夕飯は作っておくから」
ぼおっとしたまま何も映していないような瞳で見送る晶馬から、冠葉はそっと、目を逸らす。そうやって、いつまで、何も見ようとしないまま生きていくつもりなのだろうか。自然と苛立ちがこみ上げてきてしまい、冠葉はそれを押し殺した。何より、晶馬が何も話してくれないことが、冠葉はどうしても気に入らなかった。
いつまでこの状態が続くのだろうか。いつか元のように戻る日がくるのだろうか。もうどれくらい、晶馬の笑った顔を見ていないのだろうか。
「……わかった」
答えた声は、思いの外沈んだ調子で、冠葉は少し驚いた。そういえば、自分だってもう何日も、笑ってなんかいないのだ。あの晶馬の姿は、もしかしたら冠葉をそのまま映した姿なのかもしれない。何のことはない、自分だって晶馬と同じようなものなのだ。
数日ぶりに出た外はやはりとても寒くて、冠葉の体を、容赦なく切りつけてくる。
久しぶりの学校は、相変わらず喧騒の渦で、冠葉は気づかれない程度に、少し顔をしかめた。学校というものは、冠葉にはただうるさい場所にしか思えないのだ。その渦の中に、冠葉を取り巻くようなざわめきも混じる。いつもなら、そんなものに冠葉はいちいち何も感じることはないのだけれど、今日はやけに耳について離れなかった。思わず小さく、舌打ちをしてしまう。苛立ちが大きくなるのを自覚しながら、喧騒の渦を抜けるように、そのままの足で職員室に向かった。
「失礼します」
「はい……ああ、高倉か」
冠葉と晶馬の担任は、教師になって間もない、まだ若い男性教諭だった。確か、クラスを受け持つのは今年が初めての教師だった。その一年目にして、こんなに難しい生徒を二人も抱えなければならないことは、想像するよりも大変なことなのだろう。だから、この教師がどんなに嫌な顔をして冠葉を見ようが、それは誰にも責められることではないのかもしれない。
「風邪、治ったんで。今日からまた学校来ます」
「ああ、そう。弟の方はまだ休むのか?」
腫れ物に触るような、自分の本当の気持ちを隠すように接する態度は、いつものことである。それでもそんな態度も、今日の冠葉にとっては、苛立ちを助長するには充分すぎるものだった。
「はい」
「そう。……何なら君も、もう少し休めば?いろいろと、大変なんだし」
はは、と取り繕うかのような笑顔とともに吐かれた言葉に、冠葉はもう、自分の怒りを抑えることで必死だった。気づかれないように強く握りしめた拳が、小さく震えていることを自覚する。
「いえ、大丈夫です。失礼します」
そんな自分から逃げるように、足早に職員室を後にした。
いつもなら。いつものように二人でいるときだったら、こんなことで腹を立てたりしないのに。晶馬が一緒にいれば、いちいち学校の喧騒なんかを気に留めたりしないのに。けれど今は、何もかも一人でやらなければならない。晶馬が側にいてくれたら、何でも乗り越えられるとすら思えるのに。
冠葉はもう、限界だった。
「おかえり、冠葉」
家に帰りついた冠葉に声をかける晶馬は、相変わらず凍りついたような表情だった。昼間から握りしめられていた冠葉の拳は、白くなってしまって血が通っていないかのようだ。ぼおっとしたように見上げてくる晶馬の顔が、まともに見られない。どうしてそんな表情で、何も映していないような目で、自分を見るのだ。
気づいたときには、冠葉は居間に座っていた晶馬の手首を掴んで、そのままずるずると引きずるように台所のほうまで引っ張っていた。
「い…たっ、冠葉、離してっ」
突然の出来事に、晶馬は酷く動揺していて、必死に手首を振り払おうとする。それに気付いて、冠葉はよりいっそう掴む手に力を込めた。
「離せっ、離せよ!」
「誰が離すかよ!」
だんっと、冷蔵庫に背中をぶつけるように押し付ける。晶馬は酷く震えていて、怯えたような、そして青ざめた様子で、それでも表情は何一つ変わっていなかった。そんな晶馬を見て、冠葉はもう、いっそ壊れてしまえと、思った。
「しっかりしろよ!何があったか知らないけどな!」
手首を掴む手に、また力がこもる。晶馬の細い手首は、これ以上力を加えたら、あっさりと折れてしまいそうだ。
「笑えよ!いつもみたいに、間抜けな顔でもいいから笑ってろよ!」
「かん、ば」
「いい加減、何とか言えよ…!」
気が付くと、冠葉の声が、震えていた。晶馬は呆然としたように、詰め寄る冠葉を見上げて、唇をわななかせている。冠葉の目からは、いつの間にか涙が溢れて、こぼれ落ちそうになっていた。
「……少しは、俺を頼れよ」
上手く喋ることが出来ない震える唇を精一杯抑えて、ようやく一言、ことばにした。泣いている所を見られたくなくて、晶馬の肩に顔をうずめる。手首を掴む手もどうしようもないほど震えてしまっていて、もうどうにも手におえなかった。
「だからいい加減笑えよ、何か言えよ!!」
「……っ」
上手く呼吸ができない肺で、それでも精一杯息を吸い込んで、晶馬の肩に顔をうずめたまま、叫んだ。声が、冷たくて静かな、二人だけの空間に響きわたる。晶馬が小さく息を飲む音が聞こえた。そして、冠葉に掴まれていない自由な方の手が、遠慮するように、冠葉の背中にしがみついてきた。
「……、冠葉、うで、痛いよ…っ」
絞り出すように発せられた晶馬の声は、冠葉と同じように、わなわなと震えていた。冠葉の背中に回された手は、そのまま服を握りしめて、冠葉の服にくしゃくしゃと皺を作る。
「ねえ冠葉、痛いんだ」
呟く晶馬の声に導かれるように、晶馬の顔を再び見やる。そこには、冠葉と同じように、顔を歪ませてぽろぽろと涙をこぼす晶馬の姿があった。冠葉の心から、何か凍りついていたものが、溶け出していく。
ああ、やっと、泣いてくれた。
「痛いんだ…っ」
小さく叫んだ晶馬を、冠葉はたまらなくなって、強く強く、抱きしめた。
そのうち、隠そうともせず憎しみを自分達に曝け出す人たちを、冠葉は何か違う世界のものを見るような、冷めたような目で見るようになっていた。この中に、本当に自分達を憎んでいる人は、一体何人いるのだろう。ただ世間の波に飲まれただけの、自分の感情ではない、流されているだけの憎しみが大半なのではないか。そのことに早々に気づいた冠葉は、いつのまにか、いろいろと感じとることを放棄していた。振り回されることは馬鹿らしいし、無駄だと思った。ただそういった類の、面白半分の悪意というものが、どれだけ残酷なものであるのかも、冠葉はよくわかっていた。それは容赦なく、何の感情も持ち合わせていないかのように、無情に突きつけられるものだ。
けれどもどんな状況に追い込まれていようが、日々は当たり前のように移り変わるし、生きて行かなければならない。陽毬は事件の後から、しばらく親戚の叔父の家に預かってもらっていた。家に居ることすら、危険だと感じる状況だったからだ。冠葉も晶馬も、ほとぼりが冷めるまでは預かってもらうことになっていた。けれど、それを冠葉は、丁重に断った。なぜだか、自分だけでも家に居なければならない、と思ったからだった。両親が居ない今、家を守るのは自分しかいないではないか。こんな状況になっても、冠葉はまだ、両親は世間が言うような酷い人間ではないのだと信じていた。だから両親が戻ってくるまで、この家を守って、待っていなければならない。そして家に残ると言い張った冠葉に、戸惑いながらも着いてきたのが、晶馬だった。冠葉だけだと心配だから、というのが晶馬の言い分だった。
けれど冠葉も晶馬も、もう体力的にも精神的にも、すっかり疲れきっていた。何も感じないようにしていたって、外を出歩くときの恐怖が消える訳ではない。鳴り止まない電話に辟易して、電話線を引っこ抜いてしまったのはわりと最初の方だった。それに、生活もギリギリだった。慣れない家の仕事に追われることも、どうやって金の工面をすればいいのかも、全てが手探りの中、冠葉も晶馬ももう精一杯だったのだ。きっと二人だったから何とかこなせたこの状況だったけれど、その時の冠葉には、晶馬のことを気づかう余裕なんて全くなかった。それはおそらく、晶馬にしても同じことだった。けれど、冠葉は後になって、晶馬のことをどうしてもう少しだけでも気にかけなかったのかと、酷く後悔することになる。
どうして晶馬を、夜に一人で歩かせてしまったのだ。
それはとても、寒い日だった。その日は、冠葉は一人で学校から家に帰った。どうして一緒に帰らなかったのかと聞かれたら、そこまで考えが及ばなかったからとしか言いようがない。あるいは、考えることを放棄してしまっていたことへの、ツケが回ってきたのかもしれない。とにかくその日は一人で家に帰ってしまって、それなのに晶馬は、いつまでたっても帰ってこなかった。いつもなら帰ってきている時間を過ぎても、陽が沈んでしまっても、戻ってくる気配はない。携帯電話は持っていなかったから、連絡を取ることも出来なかった。時間だけが過ぎてゆき、時計の針はもう十時を指していて、さすがに探しに行こうかと腰をあげたところで、玄関が開く音がした。
「晶馬!お前こんな時間までどこ行って」
玄関に駆け寄りそこまで言いかけたところで、冠葉は声を失った。晶馬は、ボロボロになって、玄関に立ち尽くしていた。髪はぼさぼさで、こんなに寒いというのに上着も着ていなくて、服は泥だらけだった。
「…何があった?」
意図せずとも、声が低くなるのを自覚する。晶馬はただぼおっと突っ立っているばかりで、肩を掴んでも何の反応もない。顔に小さな傷が見えて、冠葉も自分が混乱していることに気づく。状況が、上手く把握出来ない。
「おい、何とか言えよ!」
凍りついたような表情でただ一点を見つめている晶馬に、冠葉は、自分の体が極限にまで冷えていくような錯覚を覚えた。こんな晶馬の顔も、世界を何も映していないような目も、冠葉はこれまで、見たことがない。
「何でもない。離して」
ポツリと呟いた、何の感情も映していないような晶馬の表情に、嫌な予感が全身を駆け巡った。混乱する頭は、いまだに何が起こっているのか、上手く理解してくれない。ただ、何か重大なことが起こっていることは、確かだった。頭の中が真っ暗で、思考が上手くまとまらない。それはまるで、大事なものが、ぽろぽろと崩れ落ちていくような感覚。
その日以降、晶馬の顔から、一切の表情が、消え失せた。
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結局その後、冠葉がいくら問いただしても、晶馬は「何でもない」と言うばかりで、何も答えてはくれなかった。それでもしつこく問おうとすると、もう返事をすることも無くなって、一人で風呂場の方へと消えてしまった。
嫌な予感は消えなかった。晶馬の顔は、笑顔どころか悲しいなどの感情も映さない、まるで人形のように無表情だったのだ。感情の表し方を、すっかりと忘れてしまったような顔だった。
翌日になって、晶馬は熱を出した。それは数日の間下がる気配はなく、この時ばかりは冠葉も学校を休んだ。家に一人で置いておくことなど出来なかった。ただ、何が起こっているのかがわからないもどかしさは、冠葉を酷く苛立たせた。けれど、こんな状況になっていたって、家への嫌がらせは収まる訳ではない。だからその対応は、全て冠葉が行うことになった。
数日経って、ようやく熱が下がっても、晶馬の表情は戻ることはなかった。相変わらず、顔の筋肉の動かし方をすっかりと忘れてしまっているような状態だった。それなのに、表情が凍りついていること以外は、なぜか晶馬は至って普通で、以前のような生活に戻った。まだ慣れない家事を、それでもきちんとこなすし、家は綺麗に掃除されていた。喋りかければ、普段通りの返答が返ってくる。
「冠葉、今日の夕飯どうしようか?」
「別になんでもいい」
「えー、それが一番困るんだけど」
会話はいつもと変わらないのに、晶馬の声音も何も変わらないのに、そこに晶馬の表情だけが抜け落ちている。晶馬は自分の身に起きていることを、何も気づいてはいないようだった。何でもいいんなら何か言ってよ、と無表情で喋る晶馬に、冠葉は、自分の心が芯から冷えていくような感覚に陥る。
どうすればいいのかわからない。どう接すればいいのかもわからない。他に頼れる人なんて、誰もいない。自分で何とかしなければならない。けれども晶馬は、何も言わない。
何度聞いても頑なに答えようとしない晶馬に、もう冠葉は、聞き出そうとすることを諦めていた。
「……何でもいいから、ちょっとは笑えよ」
「何が?何のこと?」
晶馬の顔を見るたびに、冠葉の心は、凍りついて砕けていく。
晶馬を学校に行かせることは出来なかった。こんな状態で行ってもどうなるのかわからなかったし、それに外にも出したくなかった。熱は下がったのにどうして休まなければならないのか、と不思議がる晶馬に、またぶり返してはいけないからと無理やり納得させた。
もう一週間もこんな状態だというのに、晶馬がよくなる気配は一向にない。それどころか、以前よりもぼおっとすることが多くなって、死んだように眠る時間が多くなった。台所に立っても包丁で指を切るし、昼間でも唐突に眠ってしまうことがある。以前通りの生活が、ままならなくなってきていた。そうなると、冠葉がやらなければならないことも、必然的に増えていく。晶馬だけではない、冠葉ももう、どこか極限状態にまで追いやられていた。世界中の災厄や災難が、一斉に自分の身に降りかかってきたような感覚だった。それを一人で、ひたすら耐えなければならないような。
そうして、二人で学校を休み始めてしばらくがたった頃、さすがにこれ以上休み続けるわけには行かないと思い、冠葉だけでも学校に戻ることにした。それを晶馬に伝えると、もう何も疑問には思わなかったらしく、わかった、と短い返事だけが返ってきた。
「いってらっしゃい。夕飯は作っておくから」
ぼおっとしたまま何も映していないような瞳で見送る晶馬から、冠葉はそっと、目を逸らす。そうやって、いつまで、何も見ようとしないまま生きていくつもりなのだろうか。自然と苛立ちがこみ上げてきてしまい、冠葉はそれを押し殺した。何より、晶馬が何も話してくれないことが、冠葉はどうしても気に入らなかった。
いつまでこの状態が続くのだろうか。いつか元のように戻る日がくるのだろうか。もうどれくらい、晶馬の笑った顔を見ていないのだろうか。
「……わかった」
答えた声は、思いの外沈んだ調子で、冠葉は少し驚いた。そういえば、自分だってもう何日も、笑ってなんかいないのだ。あの晶馬の姿は、もしかしたら冠葉をそのまま映した姿なのかもしれない。何のことはない、自分だって晶馬と同じようなものなのだ。
数日ぶりに出た外はやはりとても寒くて、冠葉の体を、容赦なく切りつけてくる。
久しぶりの学校は、相変わらず喧騒の渦で、冠葉は気づかれない程度に、少し顔をしかめた。学校というものは、冠葉にはただうるさい場所にしか思えないのだ。その渦の中に、冠葉を取り巻くようなざわめきも混じる。いつもなら、そんなものに冠葉はいちいち何も感じることはないのだけれど、今日はやけに耳について離れなかった。思わず小さく、舌打ちをしてしまう。苛立ちが大きくなるのを自覚しながら、喧騒の渦を抜けるように、そのままの足で職員室に向かった。
「失礼します」
「はい……ああ、高倉か」
冠葉と晶馬の担任は、教師になって間もない、まだ若い男性教諭だった。確か、クラスを受け持つのは今年が初めての教師だった。その一年目にして、こんなに難しい生徒を二人も抱えなければならないことは、想像するよりも大変なことなのだろう。だから、この教師がどんなに嫌な顔をして冠葉を見ようが、それは誰にも責められることではないのかもしれない。
「風邪、治ったんで。今日からまた学校来ます」
「ああ、そう。弟の方はまだ休むのか?」
腫れ物に触るような、自分の本当の気持ちを隠すように接する態度は、いつものことである。それでもそんな態度も、今日の冠葉にとっては、苛立ちを助長するには充分すぎるものだった。
「はい」
「そう。……何なら君も、もう少し休めば?いろいろと、大変なんだし」
はは、と取り繕うかのような笑顔とともに吐かれた言葉に、冠葉はもう、自分の怒りを抑えることで必死だった。気づかれないように強く握りしめた拳が、小さく震えていることを自覚する。
「いえ、大丈夫です。失礼します」
そんな自分から逃げるように、足早に職員室を後にした。
いつもなら。いつものように二人でいるときだったら、こんなことで腹を立てたりしないのに。晶馬が一緒にいれば、いちいち学校の喧騒なんかを気に留めたりしないのに。けれど今は、何もかも一人でやらなければならない。晶馬が側にいてくれたら、何でも乗り越えられるとすら思えるのに。
冠葉はもう、限界だった。
「おかえり、冠葉」
家に帰りついた冠葉に声をかける晶馬は、相変わらず凍りついたような表情だった。昼間から握りしめられていた冠葉の拳は、白くなってしまって血が通っていないかのようだ。ぼおっとしたように見上げてくる晶馬の顔が、まともに見られない。どうしてそんな表情で、何も映していないような目で、自分を見るのだ。
気づいたときには、冠葉は居間に座っていた晶馬の手首を掴んで、そのままずるずると引きずるように台所のほうまで引っ張っていた。
「い…たっ、冠葉、離してっ」
突然の出来事に、晶馬は酷く動揺していて、必死に手首を振り払おうとする。それに気付いて、冠葉はよりいっそう掴む手に力を込めた。
「離せっ、離せよ!」
「誰が離すかよ!」
だんっと、冷蔵庫に背中をぶつけるように押し付ける。晶馬は酷く震えていて、怯えたような、そして青ざめた様子で、それでも表情は何一つ変わっていなかった。そんな晶馬を見て、冠葉はもう、いっそ壊れてしまえと、思った。
「しっかりしろよ!何があったか知らないけどな!」
手首を掴む手に、また力がこもる。晶馬の細い手首は、これ以上力を加えたら、あっさりと折れてしまいそうだ。
「笑えよ!いつもみたいに、間抜けな顔でもいいから笑ってろよ!」
「かん、ば」
「いい加減、何とか言えよ…!」
気が付くと、冠葉の声が、震えていた。晶馬は呆然としたように、詰め寄る冠葉を見上げて、唇をわななかせている。冠葉の目からは、いつの間にか涙が溢れて、こぼれ落ちそうになっていた。
「……少しは、俺を頼れよ」
上手く喋ることが出来ない震える唇を精一杯抑えて、ようやく一言、ことばにした。泣いている所を見られたくなくて、晶馬の肩に顔をうずめる。手首を掴む手もどうしようもないほど震えてしまっていて、もうどうにも手におえなかった。
「だからいい加減笑えよ、何か言えよ!!」
「……っ」
上手く呼吸ができない肺で、それでも精一杯息を吸い込んで、晶馬の肩に顔をうずめたまま、叫んだ。声が、冷たくて静かな、二人だけの空間に響きわたる。晶馬が小さく息を飲む音が聞こえた。そして、冠葉に掴まれていない自由な方の手が、遠慮するように、冠葉の背中にしがみついてきた。
「……、冠葉、うで、痛いよ…っ」
絞り出すように発せられた晶馬の声は、冠葉と同じように、わなわなと震えていた。冠葉の背中に回された手は、そのまま服を握りしめて、冠葉の服にくしゃくしゃと皺を作る。
「ねえ冠葉、痛いんだ」
呟く晶馬の声に導かれるように、晶馬の顔を再び見やる。そこには、冠葉と同じように、顔を歪ませてぽろぽろと涙をこぼす晶馬の姿があった。冠葉の心から、何か凍りついていたものが、溶け出していく。
ああ、やっと、泣いてくれた。
「痛いんだ…っ」
小さく叫んだ晶馬を、冠葉はたまらなくなって、強く強く、抱きしめた。
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